●はじめに
北西太平洋におけるミンククジラ捕獲調査(JARPN調査)は、1994年から行っています。
本調査は2つの目的をもって実施しており、その一つは、北西太平洋に分布するミンククジラの系群構造を明らかにすることです。
これまで日本周辺には太平洋沿岸からオホーツク海に分布する繁殖集団(O系群)と黄海・東シナ海から日本海に分布する繁殖集団(J系群)が存在するものと考えられてきましたが、1993年の国際捕鯨委員会科学小委員会(IWC/SC)において一部の研究者から、これらの系群の中に固定した来遊(北上)パターンをもつ複数のグループ(亜系群)や別の系群(W系群)が存在し、日本周辺を13の海区に分けて検討するという仮説が提案されたため(図1)、以後の作業が滞ってしまう事態に陥りました。
このため、日本国政府は、日本周辺海域において同種を対象とした捕獲調査を実施して、得られた鯨体標本を用いた遺伝学、外部形態や骨格などの形態学、成長や繁殖に関わる生物学、さらに寄生虫や汚染物質などの多分野にわたる研究から、上記の仮説を検証し、同海域のミンククジラの系群構造を明らかにすることを計画しました。
また、もう一つの目的は、同海域におけるミンククジラの摂餌生態を明らかにすることです。近年、単一魚種のみを管理するのではなく、生態系全体を管理する多魚種一括管理の必要性が指摘されています。日本周辺のミンククジラもこれまでツノナシオキアミ(イサダ)やマイワシ、サバなどを捕食していましたが、近年ではさらにサンマなどの日本漁業の主要な対象魚種の一部を消費していることが明らかとなってきました。そのため、ミンククジラがどのような摂餌生態を有しているのかを明らかにする必要が生じてきたためです。
図1

●遺伝学的解析
北西太平洋ミンククジラの系群構造を明らかにするために、ミトコンドリアDNA(mtDNA)やアイソザイムによる集団遺伝学的な解析を行っています。
本調査によって7、8、9及び11海区で採集されたミンククジラ300個体(2個体のバイオプシー標本を含む)についてmtDNAのRFLP分析を行いました。また、これらの結果と比較するために、過去に行われた日本と韓国の沿岸捕鯨で捕獲された個体から採集・保管されていた6、7及び11海区の356個体の組織標本も同様の手法を用いて分析を行いました。
その結果、図2に示したように、1)韓国周辺海域に分布する個体(J系群)と日本の太平洋側に分布する個体(O系群)間には遺伝学的に明らかな異質性のあることが明らかとなり、また、2)オホーツク海南部海域(11海区)では4月と8月にO系群が卓越した状態でJ系群と混在していること、及び3)太平洋沿岸域(7海区)と沖合域(8,9海区)との間には遺伝子頻度に統計的な有意差は見られない、などの結果が得られています。現在までのところO系群が日本沿岸から東方に広範囲に分布しているものと考えられ、W系群の存在を示唆する結果は得られていません。
また、アイソザイム分析においても、太平洋沿岸域から沖合域にかけて分布する個体は、異なる系群が混合していないことが示され、DNAの結果と一致した結果が得られています。さらに、近年研究を開始した核DNAの部分領域であるマイクロサテライトのDNA多型を指標とした系群解析においても同様の結果が得られています。
図2

●棲み分け
これまでの調査で採集したミンククジラの性及び成熟組成を図3に示しました。
夏季調査(7月から9月)で得られた標本は、雄個体、特に成熟個体がどの調査海区においても卓越しており、特に太平洋域で顕著でした。また、未成熟の雄は沖合域よりもむしろ沿岸域に分布する傾向を示しました。一方、雌、特に成熟雌個体は太平洋域にほとんど分布しておらず、オホーツク海南部の11海区において比較的多くの雌が採集されており、雄と異なる分布傾向を示しました。オホーツク海は北西太平洋ミンククジラの主要な索餌場の一つであり、成熟雌個体が分布すると予想されており、O系群オホーツク海にミンククジラの性・成熟組成に関する更なる情報に興味が持たれています。
また、北上回遊の途上と考えられる初夏(5月から6月)にも調査を行いましたが、沖合域では夏季に比べて未成熟個体や成熟雌個体の割合は高かったものの、依然として夏季と同様に成熟雄個体が卓越していました。
このように、海区によって性比や成熟組成に偏りがあることは、ミンククジラが性や成長段階によって北西太平洋域で棲み分けをしていることを示しており、また調査した海区だけで一つの繁殖集団を形成していないことを示しています。おそらく、ミンククジラの系統群(O系群など)は大きな繁殖集団としてオホーツク海やベーリング海などを含む広大な北西太平洋とその隣接海域に広く分布しているものと考えられます。
図3

●繁殖期・その他
日本周辺に分布するJ系群とO系群は遺伝学的な差異に加えて、繁殖期もまた異なっていることが報告されています。すなわち、J系群では秋に交尾のピークを持つのに対して、O系群では冬に交尾するものと考えられています。これは、胎児の体長から逆算して受胎日を推定して明らかにされたことですが、同様な方法で捕獲調査で得られた胎児を調べたところ、沖合の9海区を含め、全ての胎児が冬期に受胎したものと推定されました。このことは、日本の太平洋沿岸から沖合域(9海区)までに分布するミンククジラが、O系群と同一の系群であることを示唆しています(図4)。
このようにこれまでの研究から日本太平洋側に分布するミンククジラが同一の繁殖集団(系群)であることは明らかになってきましたが、もう一つの仮説である亜系群の存在の有無を検証する必要があります。これは同一の遺伝情報を持つ繁殖集団の内部を検証することになるため、遺伝情報では明らかにすることはできません。またこの亜系群は十分に定義されておらず、棲み分けと区別して検証することは容易ではありません。
このため、JARPN調査では寄生虫や汚染物質の蓄積状況から検討しています。前者では体表に付着する外部寄生虫や内臓等に寄生する内部寄生虫の調査を行っています。寄生虫は、海洋環境に影響を受けやすく、また内部寄生虫では餌生物を介して鯨類に寄生するため、地域によって餌生物を変えたり、沿岸や沖合いなど広範囲な海域で南北回遊を行っているミンククジラでは、亜系群の有無を検討するのに有用であろうと考えられています。また、このような亜系群の検証には、この他に汚染物質の蓄積状況の比較などがあります。
これらの研究では日本沿岸から沖合までの間に差異は認められておらず、亜系群の存在を示唆する結果は現在までのところ得られていません。
図4

●ミンククジラの摂餌生態
これまでのJARPN調査の胃内容物調査で明らかになったミンククジラの餌生物種とその胃内容物中の出現率を図5に示しました。
夏季調査(7月から9月)では、太平洋の沖合域(8及び9海区)で採集された殆どのミンククジラの胃から、また北海道太平洋沿岸域(7W海区)においても約半数の胃からサンマが認められており、太平洋域ではミンククジラにとってサンマが主要な餌生物であることが明らかになりました。一方、日本の沿岸域、特に11海区では全ての個体の胃からオキアミ類が観察されています。また、7W海区ではこれに加えてスケトウダラやイカ類なども観察されており、ミンククジラの餌生物が海域によって異なることが明らかになりました。
また、北上途上の初夏(5月から6月)では、主にカタクチイワシを捕食しており、海域のみならず、季節によっても餌生物を変えていることが明らかとなりました。
このように、ミンククジラは動物プランクトンから魚類や頭足類までと食性が幅広く、柔軟に利用できる適応性を有する鯨種であることが明らかになりました。
図5

●漁業とのミンククジラの関係
ミンククジラとサンマとの関係は、ミンククジラの発見位置とサンマ漁場との関係からも明らかです。図6は1996年8月における北海道太平洋沿岸域(7海区西側)の調査中に発見されたミンククジラの位置と同時期のサンマ漁場の位置を示したものです。サンマ漁場は主に12から13度の水温帯に形成され、ミンククジラもこの時期にはこの水温帯で多数発見されています。
夏季の太平洋沿岸におけるカタクチイワシやサンマの漁業による水揚量はそれぞれ16万トン、26万トンであり、同海域におけるミンククジラによる消費量はそれぞれ4〜5万トン、6〜9万トンと試算されており、漁獲量のそれぞれ30%にも及んでおり、魚をめぐって、ミンククジラと人間との間に競合関係のあることが示唆されています。
図6

●雄の生殖腺に認められた異常
採集されたミンククジラの雄個体の一部に精巣や精巣上体に膿と思われる乳白色の粘液やその固形物などが肉眼観察され、異常のあることが明らかになりました。これらの異常精巣の発生した原因については、現在病理検査を含めて多方面からの検討を行っており、それらの結果を総合して原因の究明を行う予定にしています。これらの発現率が海区によって異なる場合には、本調査の目的であるミンククジラの系群構造の解明にも有用な情報を提供する可能性があります。
これまで調査した259頭の雄個体の内、52頭(20.1%)からその精巣の片側もしくは両側に異常のあることが観察されました。これらの異常が認められた個体の殆どが成熟した個体でした。図7に成熟雄個体における異常精巣の出現率を示しました。海域間で比較しますと、異常精巣の出現率は17〜37%とバラツキはあるものの、海区間で有意な差はまだ認められていません。
これらの精巣の異常は、その原因の究明とともに、ミンククジラの繁殖への影響も考える必要があります。現在までの組織学的な検討によれば、異常と判断された精巣標本の殆どから部分的には正常に機能している部位が観察されております。また、パートナーとなる成熟雌個体の(見かけの)妊娠率についても検討したところ、成熟雌個体のほとんど全てが妊娠していたことから、このような精巣の異常がミンククジラの繁殖に深刻な影響を与えるまでにはいたっていないものと考えられています。
図7

[Caption of Figures]
図1.北西太平洋のミンククジラの資源管理に関連し、IWCによって想定されている
北西太平洋域の13の海区(IWC, 1994)
図2.各海区毎のmtDNA制限領域のRFLP分析によるハプロタイプ組成
図3.JARPN調査で採集されたミンククジラの海区別の性及び成熟組成。
図4.JARPN調査で採集された胎児の成長とO系群と想定される沿岸個体のそれとの関係.
*:沿岸小型捕鯨により7海区と8海区で採集された胎児サンプル(Kato et al., 1993)
図5.JARPN調査で採集されたミンククジラの胃内容物から認められた主要餌生物の
海区別の組成。
図6.北海道太平洋沿岸域(7W海区)におけるミンククジラの発見位置(●)とサンマ漁場
(網掛け部分)との関係。
図7.JARPN調査で採集された成熟雄ミンククジラの海区別の異常精巣の出現率
協力(or 記):サンマ漁場は(社)漁業情報サービスセンターの道東太平洋海域漁海況速報(テレックス版27号から33号)から引用した。
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