日本は2019年6月30日に国際捕鯨委員会(IWC)から正式に脱退しました。この決定により、日本政府は特別許可による鯨類捕獲調査プログラム「新南極海鯨類科学調査(NEWREP-A)」を中止しました。IWC脱退後、日本は日本鯨類研究所(ICR)を通じて、主に大型鯨類の資源量、資源動向、系群構造を調査するため、南極海のインド太平洋海域における目視専門調査および非致死的手法による鯨類と生態系調査の継続が重要と考えました。このような目的のため、新たな調査プログラムが策定され、その名称はJASS-A(Japanese Abundance and Stock-structure Surveys in the Antarctic=南極海鯨類資源調査)が策定されました。
JASS-Aプログラムは2019年の国際捕鯨委員会科学委員会(IWC SC)の会合、2019年の南極海の海洋生物資源の保存に関する委員会の生態系モニタリング管理作業部会(CCAMLR-EMM)の会合、および北大西洋海洋哺乳類委員会科学委員会(NAMMCO SC)に提示され、これら国際機関において高く評価されました。
JASS-Aの主な研究目的は以下の通りです:
主目的1:南極海インド・太平洋海域における大型鯨類の資源量と資源動向の調査
南極海の鯨類の資源量および資源動向に関する情報は資源保全管理のために不可欠です。過去には多くの鯨種が減少しましたが、そのうちの一部は近年回復の兆候を示しており、その回復過程をモニターし、そのような回復が生態系内の他の鯨種に与える影響を評価することが重要です。
主目的2:南極海インド・太平洋地域における大型鯨類の分布、移動、系群構造の調査
系群構造情報は分布と資源量推定の解釈に重要です。遺伝的系群はその資源動態上での特徴からして独立した単位であり、したがって各群集は生態系において発生した変化に対して異なる反応を示すことになります。理想的には、資源量推定は遺伝的系群の地理的および時間的な境界に基づいて行われるべきです。
JASS-Aの副次的調査目的は以下の通りです:
副次目的1:南極海のインド・太平洋海域における海洋環境条件の調査
海洋環境の構造と動態は南極海生態系の変化を解釈する上で重要です。海洋学的な条件の変化はオキアミの分布と生物量に影響を及ぼし、その結果鯨類の資源量と分布にも影響を及ぼします。海洋学的な条件の変化は気候変動と関連します。
副次目的2:海面におけるマリンデブリの時空間的変化の調査
南極海におけるマリンデブリに関する研究は非常に限られており、亜南極海域や南極周辺の島や南極大陸でわずかな記録があるのみです。マリンデブリの今後の発生動向をモニターするため継続的な調査が重要です。
副次目的3:遺伝的データを用いた資源量推定の有用性に関する実現可能性調査
組織的な目視調査において、ライントランスセクト法はクジラの資源量推定に最も広く用いられる手法です。しかしながら、基本的なライントランスセクト調査は、特に希少種・希少個体群に対しては必ずしも適切ではない。また、南極海においては、流氷海域内部(ポリニアなど)で鯨類が分布している海域では、ライントランセクト法を利用することが不可能です。このような場合、遺伝学的な手法が資源量推定に有用です。
副次目的4:クジラの生物学的調査における非致死的手法の有用性を評価するための実現可能性調査を継続すること
NEWREP-Aでは、クロミンククジラを対象とした主要な研究目標を達成するための新たな非致死的アプローチの実現可能性を検証するため、複数の研究が実施されました。例えば、雌の生殖状態を調べるための脂肪組織中のプロゲステロン分析や、クジラの餌生物を調べるための安定同位体分析などです。大型鯨類への応用調査を継続する必要があります。
副次目的5:大型鯨類の資源量推定に関連する情報取得のための無人航空機(UAV)利用の実現可能性調査
JASS-Aの調査海域は、南緯60度以南のIWC管理区域III、IV、V、VIで構成されています(図1)。これにより、南極海における過去の特別許可鯨類捕獲調査プログラム(JARPA/JARPAII、NEWREP-A)およびIDCR/SOWER調査が当該管理区域で収集したデータとの継続性と整合性が確保されます。
図1.JASS-Aの調査海域。
JASS-Aの調査期間は南半球の夏期(1〜2月)で、これら従来プログラムと同様です。
調査は1隻または2隻の専門船によって実施されます(図2)。JASS-Aの暫定的な実施期間は8年間(2019/20〜2026/27)であり、これは各海域の半分を1回ずつカバーするために必要な期間です。実施期間と調査船の最終的な決定は予算状況に依存するため、ある程度の柔軟性が必要となります。
図2.JASS-Aに用いられる目視専門船(上)と、南極海における調査トラックラインの例(下)。
目視調査
主な調査活動は、大型鯨類の資源量推定を主目的とした、ライントランスセクト法を用いた体系的な目視調査です(図3)。調査及び分析手順は、IWC科学委員会(SC)のプロトコル及びガイドラインに従って設計・実施され、南極海における旧IWC-IDCR/SOWER調査、北太平洋におけるIWC-POWER調査及び日本の専門目視調査で使用された目視プロトコルと類似しています。
図3.JASS-Aの下で目視調査を実施する日本鯨類研究所の調査員。
系群構造
ザトウクジラ、シロナガスクジラ、ミナミセミクジラ、ナガスクジラの系群構造に関する研究は、過去の調査によって採集されたバイオプシー標本およびJASS-Aによる追加標本の遺伝子解析に基づいています(図4)。クロミンククジラの系群構造仮説の精緻化は、JARPA/JARPAIIおよびNEWREP-Aの下で収集された大規模な遺伝子サンプルセットに基づき、JASS-Aの下でも継続されています。
図4.JASS-Aの下で実施されたシロナガスクジラのバイオプシー採集(左)および得られた皮膚・皮下脂肪組織標本(右)。
分布と移動
ザトウクジラ、シロナガスクジラ、ミナミセミクジラ、ナガスクジラ個体の分布と移動は、主に写真個体識別法(図5)と衛星標識による追跡(図6)で調査されます過去調査との写真照合により、これら鯨類の分布と移動が明らかにされます。
図5.JASS-A調査船甲板からのザトウクジラ写真個体識別実験(左)とザトウクジラの尾びれ。
図6.JASS-Aでのナガスクジラ(左)とミナミセミクジラ(右)の衛星標識装着およびバイオプシーサンプリング。
海洋観測
JASS-Aの各調査航海において、少なくとも1日1地点で航走式電気伝導度・温度・深度計(XCTD)を使用した海洋観測を実施しています(図7)。海洋観測地点は、目視調査用に設定されたトラックラインに沿って等間隔で配置されます。その目的は、調査海域における大型鯨類の分布と海洋環境条件の関連性を解明することです。
図7.JASS-AでのXCTDによる海洋観測調査。
海洋漂流物
また、JASS-Aでも、JARPA/JARPAIIおよびNEWREP-Aと同様に、視認調査のトラックラインに沿って船上からの目視による海洋漂流物の観測が行われます(図8)
図8.JASS-A調査船による大型海洋漂流物観測。
その他
遺伝子的に同定された個体の標識再捕獲法は、遺伝的データに基づいた資源量推定に用いられます。個体識別は、マイクロサテライト遺伝子座の集合による遺伝子型プロファイルに基づいて行われます。このように、バイオプシーサンプリングに基づくミナミセミクジラを対象研究は既に開始されています。その他の潜在的な対象種としては、既に相当数のバイオプシー標本が利用可能なシロナガスクジラとザトウクジラが挙げられます。
クロミンククジラは、JARPA/JARPAIIおよびNEWREP-Aから得られた膨大な遺伝学的データやその他の生物学的データに基づく父性分析の対象種でもあります。この場合、雄クロミンククジラの個体数推定には標識再捕獲法が用いられます。
JASS-A調査で得られたバイオプシー標本は、鯨類の重要な生物学的・生態学的側面を調べる非遺伝的手法の研究進展にも活用されます。例えば、大型ヒゲクジラの捕食対象は、従来致死的方法で採取されたサンプルとバイオプシー標本(新旧サンプル)、安定同位体分析に基づいて調査されます。本研究は、クロミンククジラ、ナガスクジラおよびミナミセミクジラを優先種としています。
複数のタイプの無人航空機(UAV)を用いて、大型鯨類の資源量推定に関連する情報(一つの群れの個体数等)取得に有効かどうか検証されています(図9)。
図9.JASS-Aにおけるドローン(UAV ASUKA)調査。
JASS-Aの解析は南極海のインド・太平洋海域において、JARPA/JARPAIIおよびNEWREP-Aによって収集された大規模データセットと連動して行われます。JASS-Aの中間成果を検証する国際ワークショップを2025年10月に開催予定であり、この調査プログラム終了後には最終レビューを実施される予定です。
日本鯨類研究所の科学者たちは、水産総合研究センターや東京海洋大学などの国内研究機関の科学者と協力し、JASS-Aの調査研究活動の推進と研究目標の達成において主導的な役割を果たしています。これら調査研究活動の調整機関として国内運営グループが設置されています。
JASS-A調査に参加する科学者は、主に日本鯨類研究所およびその他の国内研究機関から派遣されています。資格を有する外国人科学者は、調査および分析作業への参加を歓迎されます。資格を有する外部科学者は、現地調査または分析研究の提案書を提出し、国内運営委員会の審査を受けることができます。このプロセスを経て、チリ人科学者が2023/24年度のJASS-A調査に参加しました。
| 年度 | 調査海域 | 航海期間 | 調査団長 | 調査団 | 調査船 |
| 2019/20 | IWCの管理海区の一つ、第III区西側海域で、南緯60度以南の東経0度から35度までの海域 | 2019年12月2日−2020年3月19日(109日間) | 磯田辰也(一財)日本鯨類研究所主任研究員 | 団長他2名 | 第二勇新丸 |
| 2020/21 | IWC の管理海区の一つ、第III区西側海域の一部で、南緯60度以南の東経15度から35度までの海域 | 2020年12月4日−2021年3月22日(109日間) | 磯田辰也(一財)日本鯨類研究所主任研究員 | 団長他5名 | 第二勇新丸 |
| 2021/22 | IWCの管理海区の一つ、第VI区の東側海域で、南緯60度以南の西経120度から135度までの海域 | 2021年12月3日−2022年3月21日(109日間) | 磯田辰也(一財)日本鯨類研究所主任研究員 | 団長他3名 | 第二勇新丸 |
| 2022/23 | IWCの管理海区の一つ、第VI区の東側海域で、南緯60度以南の西経130度から145度までの海域 | 第二勇新丸 : 2022年12月5日−2023年3月13日(99日間)、第三勇新丸 : 2022年12月7日−2023年3月13日(97日間) | 磯田辰也(一財)日本鯨類研究所資源量推定チーム長 | 第二勇新丸:団長他4名、第三勇新丸:5名 | 第二勇新丸、第三勇新丸 |
| 2023/24 | IWCの管理海区の一つ、第W区の西側海域で、南緯60度以南の東経70度から東経100度までの海域 | 2022年12月8日−2023年3月15日(99日間) | 磯田辰也(一財)日本鯨類研究所資源量推定チーム長 | 第二勇新丸:5名、第三勇新丸:団長他5名 | 第二勇新丸、第三勇新丸 |
| 2024/25 | IWCの管理海区の一つ、第W区の東側海域で、南緯60度以南の東経100度から東経130度までの海域 | 2024年12月6日−2025年3月14日(99日間) | 勝俣太貴(一財)日本鯨類研究所研究員 | 第二勇新丸:3名、第三勇新丸:団長以下2名 | 第二勇新丸、第三勇新丸 |
| 2025/26 | IWCの管理海区の一つ、第W区の西側海域で、南緯60度以南の東経70度から東経100度までの海域 | 2025年12月3日−2026年3月12日(100日間) | 磯田辰也(一財)日本鯨類研究所資源量推定チーム長 | 第二勇新丸:3名、第三勇新丸:団長以下4名 | 第二勇新丸、第三勇新丸 |
・2019/2020年度JASS-Aの終了について(プレスリリース)
・2020/2021年度JASS-Aの終了について(プレスリリース)
・2021/2022年度JASS-Aの終了について(プレスリリース)
・2022/2023年度JASS-Aの終了について(プレスリリース)
・2023/2024年度JASS-Aの終了について(プレスリリース)
・2024/2025年度JASS-Aの終了について(プレスリリース)
・2025/2026年度JASS-Aの終了について(プレスリリース)